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スキー

冬季オリンピックが開催されていることで、
ニュースなどの報道番組をみていると、
スキーをしているシーンをよく目にします

私は、雪深い所で育っていて、
小さいころからスキーに縁がありました

小学校や中学校では、
冬になると自分のスキー板をかついで、
スキー場に行き、
1日すべって遊ぶ日がもうけられていました

小学校のころでは、
そり遊びに夢中になっていられましたが、
中学になると、同級生では
今オリンピックの競技になっているような種目の
学校代表になるような子が数人でるほど、
スキーのレベルの高い環境であるにもかかわらず、
私はというと、
父親の妹たちがつかっていたもので、
だいたい昭和24年とか25年あたりに
生まれたひとが使っていたぼろっちい
長靴をはいたままスキー板に固定するという
旧式のスキー板に、
ストックは、
竹の棒にきりで穴をあけて、
ビニールのひもを通した母手作りのものでした


クラスのみんなは、色とりどりの奇麗なスキー板で
ロボットみたいな歩き方になるかっこいいスキー靴
ストックだってスキー板と色を合わせてあったり、
蛍光色でかっこいいストックを持っていました


私のスキー用品のあまりにものみすぼらしさに、
男子は、
「おまえんち、どんだけ貧乏なん」とバカにしてきました

女子は、見て見ぬふりしてきたり、こっそり笑われたり
声をかけるのをためらうしぐさを感じ
自分から
「私、ソリーが専門なんだけどな~」と
強がって言っていました

みかねた仲良しの友達が、
ストックを交換してくれたのですが、
そのストックを使って山のてっぺんから滑り降りるときの
あの滑りやすさ

竹の棒だと、雪に突いたとき、刺さって抜けなくなったり、
滑ったりと不安定なのですが、
ストックは、さきっちょに円盤が付いているので、
雪についてもすっと抜けるし、
安定しているんです

思うように滑り降りることができる楽しさに
友達に返すのを忘れて滑りまくりました

友達にもういいかげんに返してと言われてハッと気が付き、
(わたしもこんなスキー用品があったら、
もっとうまくすべれるのに)ととても悔しい気持ちになりました

そして、なにより
そのみすぼらしい格好でクラスメイトの前にさらされている
あの恥ずかしさがたまりませんでした

家に帰ってその気持ちを母に言うと、
「うまかったら道具は関係ない
技術でいくらでもカバーできる」と言われました


4つ離れた弟も、中学になると学校でスキーに行きました


白地に、スキー用品メーカーのロゴがプリントされた、
かっこいいスキー板
それにあわせたストック
ロボットのようなスキー靴

弟は、スキー用品全部そろえてもらって
クラスメイトと同じような格好でスキーに行きました


「これ全部買うのに8万円かかった」
母がうっとりと言っていた金額もいまだに覚えています


(なんでわたしはかってもらえなかったの?)


私は買ってもらえなかったという怒り

私が訴えた時には
うまかったら道具関係ないといったじゃないか
それなのになんで弟には買うわけ?
と言いたい理不尽さ

もっとうまくすべりたい
滑るのがめっちゃ楽しいという気持ちを
我慢した悲しさ悔しさ

みすぼらしい格好で
クラスメイトに馬鹿にされた恥ずかしさみじめさ

自分がどんな気持ちだったかを
母親に全く受け取ってもらえず
無視されたままの虚しさ

そんないろんな感情を押し殺し、
当時、
自分がスキー用品を買ってもらえなかった理由として、

(きっと、私が中学校の頃より、
お父さんが日雇いで働くようになって
お金がたくさんはいったから
弟には買えたんだろうな

私の時は、そんなにお金がなくて
お母さんは”しかたなく”私に
古いスキー用品をもたせるしかなかったんだろうな
わざとじゃない)
と、自分に言い聞かせた事をおぼえています

私はそう思うことで、
母親が私にぼろい旧式のスキー用品を持たせたという事実や
私がどんな思いをしたか全く無視されている状態を
直視しないようにしていたのかなと思います

スキーをみるとその頃のいろんな気持ちがよみがえります
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次男がこの頃、
同級生の話をするようになりました

そのなかのひとつで、
うちから少し歩いた所に、
次男の同級生がいるのですが、
次男は、どちらかというと大柄で、
その近所の同級生は小柄

その子に、次男は顔面を殴られたことがあったそうです

次男は殴り返すことができず、
顔面を両手で覆うようにしてうつむいていたそうなのですが、
それをみた近所の同級生が
「そんなことでなくなよ 顔あげろよ」と
いってきたんだそうです

ぐりぐりと頭をさわってくる同級生に、
次男はわざと、
なんともなかったようににんまりと円満の笑顔で
隠していた腕の中から顔を出したのだそうです

それで、その同級生がゲラゲラわらって、
その件はふざけあっていたという事で
おさまったらしいのですが、
今さらながら殴り返しておけばよかったと
次男が悔しそうに言っていました


自分より小さい子に殴られてやり返せない情けない自分

殴った本人が全く罪悪感のない対応をしてくることのくやしさ

それだけ、殴った子が自分の事を何とも思っていないんだと
思い知るみじめさ

悔し紛れに、自分はなんともないと言う態度をすると
げらげらと笑ってなんにもなかったようにされ
自分の悔しさ、なさけなさ
みじめな気もちはなかったことにされる屈辱感

そんなめにあっている自分を認めたくなくて、
なんともないふりをしてやり過ごした次男の気持ち


「くやしかったやろう」というと、
次男の目からみるみる涙があふれていました


その頃の私であれば、
次男にエピソードを聞いたとき、
「なんや なぐりかえしたったらよかってんやん
お前の方がでかいんやろうが」
と、言っていたと思います


そういう私はと言うと、
悔しい目 屈辱的な目、みじめな目にあったときにも、
なにごともなかったようにへらへらと笑ってきていました

そんな私を見ていて、
どうやって次男が自分の気持ちをハッキリ言えるのか

それなのに、「やりかえせ」だなんて
私も酷な事をいっていたなと思いました


自分というものを全く無視され、
粗末な扱いをうけているという事実を
自分が怒る事で認めてしまうことへの悔しさ腹立たしさみじめさ


今は、次男の気持ちがよくわかります

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コミニュケーション能力

私がイメージしていた、
コミニュケーション能力があるということは、
どんな人とでも会話ができて
人ともめ事をおこさず、
楽しい雰囲気を作れる
みんなにいい人と思われている人

漠然と、そんなイメージを持っていました


ところが、コミニュケーションを円滑にはかろうと
自分はどうしていたかというと、

どんな人とでも会話ができる イコール 
めっちゃ我慢して相手に合わせる

人ともめ事をおこさない イコール 
なにがあっても自分が悪かった事にして
もめ事を大きくしない

楽しい雰囲気を作れる人 イコール
とにかくハイテンション

みんなに良い人と思われている イコール
なにがあっても怒らずニコニコしている

とまぁ、我慢 卑屈 無理ポジ 感情鈍磨と
ものすごいエネルギーを使って
人とやりとりをしていました


私は今、
コミニュケーション能力があるというのは、
不快に過敏でなく、人に過剰に承認欲求しない
自分の感情に素直で無理に人に好かれようとすることなく
まわりの人間と円滑にやり取りができること
なんじゃないのかなという気がしています


たとえば、以前の私であれば、
職場で掃除機をかけているとき、
自分がかけようとする先に職場の人が立っていたとします

その人は、各テーブルの上に灰皿を配ろうとして
たっているのだけれど
そこに立っているということだけで、
過敏に不快を感じ、

私が掃除機かけようとしてるのにあなたわからないの?
(あなた、わたしのことみてないの?)という
過剰な承認欲求がわいてイラッときます

でも、良い人とみられたいので
顔はニコニコしながら、心でイライラして
(はよどかんかい)と怒っている状態になります

おそらく、このはよどかんかいというセリフは
良い人と思われたい欲求から、
無意識の中で打ち消されて、
自分が思っているだなんて
これっぽっちも感じていないくらい
うっとり麻酔をうって感情を鈍らせ
気づいていないとも思います

そんなこと続けていては、
ストレスやイライラは無意識にどんどんたまる一方で、
こんなに我慢しているにもかかわらず、
だーれも気がついてくれない

そのあたりも無意識で、
なんかしらんけどイライラして
家にかえって家族に当たり散らすというのが、
私のパターンでした


不快を過敏に感じなくなると、
(あれ?この人なんで立ってるんだろう?)と相手をみて
(なるほど、灰皿をテーブルに配ってるんだな)と理解し
「こっちのテーブルにおこか~?」といって、
相手が手にいくつかもってる灰皿をひとつ受け取るくらいの
余裕がでてきます

次に、
相手も「サンキュー」と私に灰皿を手渡してきたとします

そのセリフに、こちらの承認欲求がつよければ、
(せっかくやってあげたんだから、サンキューとかじゃなくて
もっと丁寧に感謝しなさいよ)と怒り心頭になりつつ、
良い人と思われたくて我慢するところですが、

そこまで欲求が高くなければ、
「ええよ~」とかるーく返事をして
別に良い人と思われたいともおもってないので
相手の対応もさほど気にせず、
気軽に次の仕事にとりかかることが
できるんじゃないのかなと思います


あらためて自分の特徴を振りかえって
不快を過敏に感じて怒りやイライラを感じ、
良い人と思われたいので、
自分の不快を相手に読みとられたくないから良い顔をして、
そこまで頑張ってるのに誰も認めてくれないと腹を立て、
誰も私のことわかってくれないと
ムカムカしつづけてきていたんだなと思いました



ここまで考えると、
そしたらなんで、不快を過敏に感じていたんだろう?
どうして、そこまでして
承認欲求したいんだろう?という疑問
なにより、
どうしてそこまでして良い人と思われたいんだろう?
という疑問もわいてきます

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プロフィール

zukamama

Author:zukamama
夫がうつ病になり、わが子が不登校になったことから、自分の生きづらさが関係していることを知り、回復に向けてやってきたこと、きづいたことを書きづつっています

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