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自分を大切にすること

今週木曜から来週一杯
仕事がハードワークになりました

私は曜日別に
掛け持ちで仕事しているのですが
片方のスタッフさんが
1週間お休みをもらう予定をしていたにもかかわらず
こないだの木曜から熱をだして休まれて
私はおとといから来週一杯
受付パートに入ることになりました

ランチパートもあるのでなかなかのハードワークです

勤め先の先生は
今日も出勤してほしそうにしていたのですが
きっぱり断りました

以前の私なら考えられない行動です

私はもともと人に物事を頼まれたり
困っている人をみるとつい引き受けてしまって
余裕がなくなりストレスがたまり
家族に八つ当たりしヒステリックになるところがあります

こうやって断れたのはセッションで
自分の気持ちを伝えることを
意識してきた賜物ではないかとおもいました

今回、しっかり心の灯りをともし
何を大切にしたらいいのか
きちんと順番を決めることができました



自分にとって何が大切なのか?


この基準が今まで私にはなく
いつも振り回されてしまって
いざ気付くと自分がわからなくなっていました

大げさなかき方ですが
その人のものになってしまうんです

だから自分のものである
主人や子供が
二の次三の次になってしまいます

私の特徴を察知した人であれば
私を支配したり操作したりするのは簡単でしょう

義母と私の関係がまったくのそれでした


義母に合わせることで
義母に喜んでもらおうと
義母に気に入ってもらおうと
そうするために自分を思う存分変化させて生きてきました

四六時中支配された状態の私は
自分自身の自分に戻ってこれなくなります

自分がわからず不安で先が見えません

何があっていて何が間違っているかわからないし
いざなにかがあってもどうしていいのか判断できないし
益々自分に自信がもてなくなる

だから義母の言うとおりにしていればいい

そんな状態で義母の支配や操作のもと
10数年間生きてきていました

でももう私は支配されません
私は私のものです

おかげで今回の年末年始の
義母宅訪問は自分が想像している以上に
落ち着いた気持ちでいられることができて
こんなにリラックスした状態で義母の所で過ごせようとは
思いもよらないくらい安定した状態で過ごすことができました


そして、今の私には
”自分を大切にすることは悪い事じゃない”
そういう安心できる空間をもつことができたので
優先する順序が見えて
今回の仕事の件でも自分で判断することができました

子供の頃から独身の頃そして結婚してからも
ずっと誰かの支配下におさまって
自分を変化させていきてきていましたが
もうたくさん です


そんなに私は強くない

そんなに私は色々と背負えない

そんなに私の手足は長くない

そんなに私は力強くない


いいの

私は私で良いの

人にそこまで合わせる必要ないの

私がそこまで背負う必要ない


私は私

自分を大切にしていいの



こんな風に思えることが
どれだけ私を自由にしてくれるか
今ひしひしと嬉しさを感じているところです


昨日は
ランチパートがおわったら受付パートと
1日ぶっ続けで働きまくった私は
「あ~ こしいた~い あしだる~い」
などとぶつくさいっていると 長男に
「そこまで体が疲れるのわかっててなんで仕事をひきうけたんや?」と
突っ込まれました

「そんなん 他にスタッフおれへんからしゃーないやん」というと
「だからってこっちがクタクタになるまでやる必要あるんか?
無理なことは無理ってはっきりいうべきちゃうんか?」
とまで言われました

私は
「でも、明日きてほしそうやったけど それはちゃんと断ったから」
というと
「ふーん。ならいいけど。」と何も言わなくなりました

その後「腰もんだろか?」と長男は腰をもんでくれました



長男は自分をきちんと大切にする手段をわかっているんですね

こんな優柔不断な他人相手に変化し続ける母親で
随分と苦労させてしまいました


自分を大切にすること

それは家族を大切にすることなんですよね・・・

長男の言葉に気付かされました




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楽しんご

この間のセッションで
きんたろうがんが 物まねの披露をしてくれました

龍馬伝の福山とか武田鉄也の真似だったのですが
「え~にてへんって~!」などと
めっちゃ突っ込みいれていました

なぜか私の声がちょい鼻声で
吉永小百合に似ているといいだして
「吉永小百合っていってみて」と言われて
「いやや!」って、めちゃくちゃ拒絶しました


ただ、こういうやり取りだけ聞いていると
飲み屋で酔っ払いが戯れてやらかしている会話に聞こえますが
この中できんたろうさんは
私に対して(もっと自分を解放したらどうなんだ?)という
メッセージを送ってきていたように思います


私はとにかく自分にバリケードをはっていますので
たとえば OLの頃 それこそバブル絶頂の時でしたので
しょっちゅう飲み会に連れて行ってもらった経験があるのですが
いつも介抱する係をしていました

人のグラスが空いてないかとか
そういう意味では周りの気持ちを盛り上げようと
その頃流行っていたアンルイスのああ無情を
とんでもないお囃子で歌ったこともあります
(おそれおおくて内容はここにはかけません・・・)

とんでもないお囃子で歌ったり
げらげら笑ったりしていても
いつも心は冷めていて
誰か盛り上がっていない人はいないか
機嫌損ねていないかとチェックばっかりしていたし
飲みすぎて歩くのもふらついて
トイレから帰ってこれない同僚に
「ほれ、水のみいや のみすぎやで」
などとこっそりママにお水を頼んで入れてもらったり
そんなことばーっかりしていました

結構飲み屋のママとそういう意味で
仲良くなることもあって
一度名刺をもらったこともありました 

根性あるなって見込まれたんでしょうか・・・ ^_^;


主人にセッションの中で会話したことを
ふと話したことがあるのですが
その時に
「お母さんは 家族だけだとそうでもないんやけど
人を喜ばせることばっかりに気をつかって
グループでいるときに楽しんでいる姿をみたことがない」
と言われました

主人も私の特徴をきっちりみていたんですね・・・

私が一生懸命やってることに
あえて口を出さずにいてくれたのかもしれません


この間
お正月明けに受付パートに出勤して
あまりにもの体の動かなさに唖然として
次のランチパートに行く日

この体の重さや
動きの硬さをなんとかできないかと
今 お笑いでがんばっている
楽しんごの真似をしてみました

しってますか?

ドドスコスコスコ ドドスコスコスコ
ラブ注入!ってやるあれです

あれの 
ドドスコスコスコの踊りをしたら
腰回りがあったまって
動きが軽快になったのを今日ふと思い出し
食事中にその話をしました

「楽しんごって見てて色々おもうとこあるけど
あの踊りはええで
こないだ 体が重くてだるかったとき
あの踊りしたら楽になった」

そういったあとの
主人と長男の目のキラキラした様子といったら・・・

「おかん やってみてや!」

「そうやん みしてーや」


あほか!見たかったら金払え! (~_~;)


(ここなんですよね~ イッチョ踊ったらよかったかも・・)


でも・・・

あのときの主人と長男の顔を見たときに
世の中 
正しいことばっか言ってたって
な~んか暗くなってしまうもんなんやなぁ

遊びの部分がなかったら
冷え切ってしまうもんなんだなぁと
思い知らされました

きんたろうさんは
このことを私にきづいてほしかったんじゃないか・・・
そう思いました


楽しんごの踊り

マスターして
家族にラブ注入しまくったろかな・・・ ^_^;

あ・・・結局喜ばせてる役になってるやん 私

まぁ 自分も楽しめればいいのかな・・・


楽しんごの映像です ^_^;




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親のエゴと情

私が小さい頃は
よく家のお風呂の薪をくべたり
囲炉裏の火をつけたりする手伝いがありました

でも
わが子にそれを教えようとしたことがありませんでした

主人は田舎生活にあこがれていて
キャンプも大好きで
行こう!と結構誘ってくれていたけれど
いざ行くようになったのはほんの数年前から

それまで
[私は田舎でずっとキャンプ生活みたいなこと
してたんやからもうたくさんやって。」と
断っていました


子供たちに自分が小さい頃経験したことを
なぜ教えなかったか?
なぜ経験させなかったか?

それはその作業に嫌悪感があったからでした

その嫌悪は母から・・・

母は私が土をさわることや
農業の手伝いをすることに対して
とても嫌な顔をしました

台所のことや洗濯物など
やらされるのは家事のみで

覚えているのはジャガイモほり
そしてお風呂や囲炉裏のたきつけ

それもおばあちゃんにやる様に言われたんであって
母には農作業を手伝うように言われたことはありませんでした

実家は北陸の山奥で
冬にはたくさんの雪が降り
ゆきかきの仕事もあったのですが
全く手伝わされた記憶がありません

私が農業を手伝うと必ずと言って言ったことが
「おまえが農業できる子になると
農家に嫁にいかされる そしたら苦労せんならん
農業なんかしらんほうがええ」

母の意思が入ってたんだろう

私どころか子供たちが
田舎のおばあちゃんの手伝いがしたいといっても
良い顔をしない

母が自分の生活を嫌悪してるから
自分がやらされてるからきっと大嫌いなんだろう

考えてみればそりゃそうだろう
自分がここに嫁に来た経過をしっている

それに対して怒りや悲しみや不満を
ずっと心に押し鎮めたまま生活していたんです

無意識の態度にでてもしかたない・・・


私は家族が嫌で高校の卒業と同時に家を出ました
そう思っていました

でも今考えると違うかもしれない

母の嫌悪感が私の心にリンクして
出て行きたい!という気持ちになったのかもしれない

高校卒業して
就職先の寮に行く日
母と寮の近くに住んでいる母方の祖母がついてきてくれました

祖母は同僚に正座して両手をつき
孫をよろしくとあいさつしてあるいていました
母は黙って片づけをしています

部屋の片づけが済んで
母と祖母がかえるときになっても
母はとても私にそっけなく

祖母は何度も何度も振り返り
私に手を振りながら帰って行ったのに
母は一度も振り返ってくれませんでした

(冷たい人・・・)

寂しくて寂しくて
母が寂しい態度を見せてくれたら
逆に安心できたかもしれないのに
あんなにそっけなく帰っていくだなんて
もう絶対母親をあてにしないぞと
やっぱり家をでて良かったと
恨めしい気持ちで母の後ろ姿を振り切りました

私は寮に戻ると新しい友達と色々しゃべったり
新しい服 新しい家具 新しい生活
どれもこれも新鮮で楽しく
自由を手に入れた気持ちでした・・・



それから10年ほど後になにかのきっかけで
祖母があの日の事を話してくれました

私が新しく寮に引っ越したあの日

母は私が見送る姿を振りかえられないほど
背を向けた時に泣いていたんだと・・・

祖母の家に泊まったその日の夜

夜中じゅう 母は泣いていたんだと

いくら祖母がなだめても
ずっと ずっと 朝まで泣いていたんだと・・・


・・・知らなかった・・・

そんな風に思ってくれてただなんて知らなかった・・・





今 母のいる北陸はものすごい寒さ

ニュースでも大雪だと言っています


父はこの大雪で命を落としました

雪かきをしている最中に柔らかい雪に足をとられ
身動きできないまま助けを呼んでも
山の谷に たった二軒 家があるだけの過疎の村で
誰にも気づかれず何時間も雪の中にいて
母が別の所で雪かきして
返ってこない父を心配して見つけた時には
やっと会話できるかできないかになっていたそうです

父はそのまま
急性心不全で死んでしまいました・・・



母は冷え切った父をみつけて
あわてて毛布やあったかいお湯を用意したのに
となりの本家のおばさんに
「なんだかんだとさわらないほうがいい」といわれて
辞めたんだとお葬式に聞きました


そんな馬鹿なはなしあるか!
その行為で父はたすかってたかもしれないじゃない!
なんで隣のおばちゃんに言われたからってやめるわけ!?
そう言って怒りました

でも母は、「かあちゃんにはでけん」って
「本家のおくさんに逆らえん」って・・・



私の実家は分家

本家のおばさんの気にさわることを
しちゃいけないという暗黙のルールがあるんです

祭りごとも本家より後
田んぼの水も本家が好き勝手つかった後の水しか使えない
田んぼがいくつもあります

外に遊びに行くのも
本家のおくさんにみつからないように
家の前の道ではなくて
田んぼのあぜ道をこそこそ出かけて行っていました



祖父は本家の跡取りとして
養子になった曾祖父の子

それなのに本家に男児がうまれたからといって
家を充てがえられて独立させられた曾祖父の子

祖父は小さい頃、
自分の家はここじゃないと
何度も本家に帰ろうとしたんだそうです・・・

どれだけ悔しかっただろう
どれだけ寂しかっただろう

祖父はどんな思いをして本家が隣にあるのに
今の家にかえっていたんだろう

いらなくなったからって外にだされるなんて
そんな勝手な話しあるもんか!



・・・実家には
親族に好き勝手に振り回された人間が
どれだけ集まってたんだろう・・・


悔しさや せつなさや 寂しさ 虚しさや 腹立たしさ 怒り

そんな気持ちを胸一杯に詰め込んで我慢して
それなのに本家にいつも気をつかって
そのストレスが子供に降りかかって・・・

ずっと続いてきてたんだ・・・

ずっと渦巻いていたんだ・・・



曾祖父も祖父も父も
そして祖母や母だって
しいたげられさぞつらかっただろう

なぜこんなことまでしないといけないの?

母もずっとくるしんできていたんじゃないだろうか・・・

そんな本家の奥さんの一言で
父を助けることもできなかった

私は父の葬式で本家のおばちゃんに
よっぽど「あんたが父を殺したんだ!」と言ってやりたかった

でも助けなかったのは母

支配に縛られうごけなかったのは母

いくらおばちゃんに怒鳴ったって父は帰ってこない



今、私はこうやって 
エアコンの効いたあったかい部屋で
子供たちとパソコンをうちながら
そろそろ夕飯つくらないとな~なんて
やっている

「あーあ。こんなに寒かったら雪ふれへんかなぁ。」
長男が外を見て行っている




もし田舎に嫁に行っていたら
今ごろ雪かきで大変なことになっていただろう

実家近くに嫁に行っている友人は
この時期みんな家から出かけるのに
ゆきかきしてからでないと外出できない

子供が学校にいくまえに
家の前の道をゆきかきしないと学校にいけない

そして田舎だと同居になったり
近所や親戚のえんがつよかったで
心や体を縛りつけられた状態になっていただろう


母は そんな生活から私を守りたかったんじゃないか?

自分を犠牲にして
私たちを守ってくれたんじゃないか・・・


あの頃は 自分から家をでたものの
都会に放り出されてしまったような
寂しく虚しく行き場所のない不安でたまらなかったけれど
今は母が体を張って私を守ろうとしてくれたあったかさに
体も心もあったかいきもちでいさせてもらえている



雪・・・ 大丈夫かなぁ

実家の屋根には随分と積もってるんじゃないかなぁ

おかあちゃん 一人で大丈夫かなぁ・・・



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歩いて行く

年初めに母のことをブログに書いて以来
気持ちが昇天してしまったような
満足してひとところにおちついてしまって
あぐらをかいてしまったような
そんな気持ちに陥っていました

でも、しばらくすると
今まで歩いてきた道が急にぷっつりと途切れてしまったような
(で・・・私はこれからどこを向いてあるけばいいの?)
という不安がむくむくとわき起こりました

自分は、母の意外な部分を知ることができて
母の中の小さな女の子にも、自分の小さい頃の私にも
温かな灯りをともす気持ちになれたところがありますが
ふと我が家に目をやれば
不登校で1日ゲームをしっぱなしの息子二人がいます

次男は昼夜逆転に戻っていて
夜になると闇や音にとても不安がり
何度か起こされたこともあります


何やってんの?私・・・
子供たちまだまだちゃうの?

どうすんの?これから ・・

長男 中3で受験だよ!

次男 小6で小学校最後の年だよ!

それぞれ、なにからはじめたらいいのか
なにか考えたの?きめたの?

知ってる?お正月すぎたんだよ・・・
これで、また一つ年をとるんだよ・・・

わかってる?

この子たちの将来、これからどうするつもりなの!?・・・


今の現実にものすごく不安がわき起こり
酷い時は夜中にガバッと目が覚めて
なかなか眠れないという日もありました

今までやってきたことに対しての
自分の中のおごりだったのか・・・

一人うぬぼれて夢見る夢子さんで
まるでシンデレラが12時を過ぎた時のような
馬車がカボチャにかわってしまったような
さーっと心がつめたくなる瞬間でした



でも・・・


子供たちは楽しそうによく笑います

私の作ったごはんを
おいしい!と食べてくれます

ねるときになると、それはそれは可愛い顔をして
すやすやと眠っています

主人も、職場の上司の理不尽さにぶつくさいいながらも
仕事にでかけ働いて帰ってきてくれています

家では子供たちと楽しそうにしゃべっています

そして、夕飯に二人でお疲れ様の乾杯をして
ビールを飲んでは色々話して1日が終わります・・・

まだ睡眠薬のお世話になってるけれど
でも一番酷かった頃の主人から比べたら
今は別人のようになっています

夜中に泣き叫び 毎朝泣いていた長男が
自分で起きてきてにんまりわらっておはようと言います

あんなにどもってチック症があった次男も
いまでは流暢に自分の話をすることができています

子供たちが 学校に行っていないだけで
それぞれがそれぞれ、自分を生きていこうとしています

そしてそんな子供たちを支えるように
ゆっくりと歩みをそろえて歩いてくれる主人がいます


『偶然では決してない

家族の誰かの意識が変容したら全体がかわる』


そうりんりんさんに教えてもらいました


そうだとしたら、
家族を、自分の人生を
自分の力で幸せにしていくことができる


やせがまんしなくていい

みてみぬふりしなくていい

かたまっていなくてもいい

つよがってなくてもいい

あきらめなくていい


せっかくのチャンスです

まずは自分の心を
しあわせにしてやりたい!



もう 自分の中の小さい子供が
だあれもてをさしのべてもらえずに
硬く心をとじたまんま
じーっとさせておくわけにいかない


私が幸せになりたい!!



まだまだ、ブレるときがあるかもしれない・・・
でも きちんと核となる部分に戻ってこれるように
一歩一歩積み重ねて歩いて行きたい・・・

自分の中の灯りとともに
歩いて行く先にも暖かい灯りをみつけ
すこーしずつ すこーしずつ すすんでいきます


りんりんさん
きんたろうさん

そしてあなここのみなさん

色々と気付かせてくれてどうもありがとうございます

これからもどうぞよろしくお願いします



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母の中の女の子

新年 あけましておめでとうございます




年始一番に、
どんな記事をかこうかとここ数日、色々かんがえていました

まず、義母の家に行った時の事をかこうか・・・

今回の義母宅訪問は自分が想像している以上に
落ち着いた気持ちでいられることができて
こんなにリラックスした状態で義母の所で過ごせようとは
思いもよらないくらい安定した状態で過ごせて

そうだ、これをブログにアップしようなどと
色々思ってはいたのですが

昨日、実弟の家に家族で年始の挨拶がてら遊びにいった時、
たまたま母とふたりっきりになる時間があり
(そういえば・・・)と
「おばあちゃんには会いに行ったの?」と聞いてみました

母方の祖母が90歳くらいで、
痴ほう症になって入院していますが
もう誰の事も認識できない状態になっています

母は祖母の話しをしているうちにどんどん過去回想しだしました


母は、父と結婚をする前に
すでに結納を済ませた人がいたのだそうで
こんな話を聞いたのは生まれて初めてのことでした

ところが、どういう理由かわからないけど
母の実家の本家から、母をそこに嫁がせるのだったら
うちとは縁を切ってもらうと、いってきたのだそうで

本家と縁を切れなかった祖母は、
せっかく結納まですすんでいた縁談をこちらから断ったのですが

もうすでに結納までのいろんな仕度をやっいて
近所中に嫁入りのうわさが広がっているし
でも実際は破たんになってるしで

都会から縁談の為に帰ってこさせた母を
長いこと家でいさせるわけにもいかずどうしたものかと
世間の目を気にして困り果てていたところを
私の父の話がでたのだそうです

おまけに父宅からは
ものすごい結納金を持ってきたのだそうで
わたりに船と、
祖母は大喜びで前の縁談相手にも増して
母の嫁入り道具の着物を寝ないでこしらえたのだそうです

私はここまで話を聞いて
親の世間体や不安を解消するために
こんな親の身勝手な縁談で母は嫁にやられたのかと
むくむくと怒りがわき、
その時の母のさみしさ辛さを思うと
心がさむーくなり
どれだけ辛かっただろう
どれだけさみしかっただろうとつくづく思いました


いざ嫁にやったものの
行事ごとのたびに私の実家におよばれしてお邪魔するたび
祖母は私の実家のいろんなボロを目にし
偉いところに嫁にやってしまったと後悔したのだそうです

そんなアホな・・・
どんだけ自分勝手なんだ・・・

母は何もかも知っていて祖母の言うなりに嫁いだものの、
想像する幸せなものとはかけ離れた大変な暮らしで
何度も何度も祖母のことを恨んだのだそうです

そうだったのか・・・

かけばとてつもない量になりますが

一緒に住んでいた頃の母は狂ったように仕事をするひとでした

その、母のがむしゃらな、まるで自分の体を壊そうとするような
今思えば、自傷にみえるそのめちゃくちゃな働きぶりを
小さい時からみていた私は、あまりにも母の過酷な毎日に
とても怖くなり、あまりにもかわいそう過ぎて
夜、布団の中で何度も泣いたことを思い出しました

母のあの頃の
スイッチが入ったようにヒステリックになる状態や
自傷に近いめちゃくちゃな働き方
思い込んで落ち込んで能面のようになって自分の心に閉じこもる姿
その頃の母を診察されていれば
精神的に疾患の診断がおりていたのではないかとまで思います

そうなっても仕方ないでしょう・・・


おまけに父は
私が物心ついた頃から出稼ぎで家におらず
もし私がそんな母の状態だったなら
正直、まともに子育てができるわけがないと
母が気の毒で気の毒でしかたがありませんでした ・・・



母がそんな祖母のお見舞いにいたっとき
兄弟をみたときは名前を呼んで認識したのに
母を見た時には
祖母はどこか近所の人が見舞いに来てくれたんだと勘違いして
「ようきてくれはりましたねぇ」とまるで他人を相手するように
とても丁寧に挨拶をされたのだそうです

母はその時の事を思い出しさびしかったと
涙を流しました

「おっかちゃん 私や ○○やで!あなたの娘やで!」と
大きな声で祖母に訴えたかった

「なんで私を思い出してくれないの?」
と悲しくて悲しくて涙が出たと泣きながら話してきました

以前
私の母が私のさみしさを知らないまま通り越して
私の子供になろうとしているということを
あまりに辛くてブログにかきましたが
母は同じような寂しい経験を
もっと強烈な状態で経験していたんです

母は祖母が自分を忘れてしまった理由として
自分は小さい時からいつも怒られてばっかりいた
男勝りで女らしいこと何にもできなかったし

きっとおっかちゃん(祖母)は
自分のことが可愛くなかったんじゃないか
だから自分の事を忘れてしまったんじゃないかと
さみしくてたまらなかったと言いました

「そう…辛かったねぇ」
私がそういうと、また母はぽろぽろと涙を流しました

「おかあちゃんからしたらそんな風におこられるよりも
ようがんばってるな 偉いなっていってもらえることのほうが
ずっと嬉しいし頑張れるし幸せな気持ちになれたのになぁ」

そんな言葉を話しかけると
もう、私の目の前にいるのは5人の孫をもった私の母ではなく 
いつも叱られてばっかりで
すっかり自信をなくしてしまっている小さい女の子でした

辛かっただろう 寂しかっただろう
母のそのせつない悲しい気持ちがどんどん伝わってきました

祖母に好き勝手に縁談を決められ
山の中の農家で
それはそれは大変な生活を強いられて生活している間 
何度祖母の事を恨んだかしれないと
でもそうやって祖母を恨む自分はダメな人間だと
何度も何度も自分を責めたんだと母は泣きながら話します

そうだったんだ・・・

・・・子供というものは自分がどんな扱いをされても
どんな境遇になっても
結局、親を思って自分を責めるんだ・・・と
子供が親を思う純真さ 尊さを
我が母の姿で思い知らされ
小さな女の子のように見える母を
温かい光で包んであげたくなりました





しばらく泣いていた母が話を続けました

痴ほうになって目の前の娘(母)を
他人のように扱い、色々話していた祖母がポツリと
「私には田舎の山の中の農家に嫁がせた娘がいるんです
今どんな辛い思いをしているかとあの子がきがかりできがかりで・・・」と
くどいてきたのだそうです

母はその祖母の言葉を聞き
もう辞めよう もう祖母の事を恨むのをやめよう
祖母はこれだけ私の事を思っていてくれていたんだと
心から感謝することができたと
また母は涙を流し私に話をしてきていました


そう・・・ そうだったん・・・ よかったねぇ・・・

私は
「ばーちゃんは、おかあちゃんが男勝りやとかって怒ったことも
きっと、おかあちゃんの将来を色々心配して
幸せになってほしいがために怒ったことなんやろうな

もしかしたらばーちゃんもお母ちゃんとおんなじように
優しい言葉かけてもらった経験がないから
おかあちゃんにはきつくしかあたれんかったんかもしれへんな

でも、怒られてばっかりなんて辛かったよなぁ

もっと褒めてほしかったやんな・・
もっと可愛がってほしかったやんな・・
さみしかったなぁ ほんまに辛かったなぁ」

私がそういうと、母はまたぽろぽろと涙をこぼしました




「痴ほう症の人の忘れない記憶って
案外嬉しかったこととか大切なことだけは
のこっているんかもしれへんよ」と話ししていると

母は、そういえば・・・と

祖母は痴ほう症になっているにもかかわらず
タオルをもつと着物を縫うしぐさをするのだそうで

祖母が結納を破たんさせて途方に暮れていた時
私の実家との縁談が決まり
祖母はこんなにも結納金を持ってきてくれる人ならと
最初の結納の時に仕度した着物以上に
あれやこれやとたくさんの着物を
寝ないで一生懸命縫っている姿が
母はいまだに忘れられないのだそうです

「それはきっとおかあちゃんが幸せな結婚生活を
送ってくれるようにって
祈る気持ちや楽しみな気持ちで一生懸命
着物を縫ってたことをいまだに覚えていて

痴ほうになってお母ちゃんの事を認識できない状態でも
そうやって大切な記憶として
着物を縫うしぐさをしてるんかもしれんなぁ

今のおかあちゃんが、私やで・・・と目の前にきても
おばあちゃんはわかれへんかもしれへんけど
きっと、おかあちゃんがお嫁に行く頃のおかあちゃんになって
ばーちゃんの前に立ったら”ようきたなぁ”って名前を呼んで
だきしめてくれたんとちゃうかなぁ」

そういうと
母はまた涙を流しうんうんと嬉しそうにうなづいていました



母の心に暖かい光はともったかな・・・

母の中の小さい女の子は
安心した穏やかな笑顔になってくれたかな・・・

そんな風に思いながら母の泣く姿を見守っていました




この話しの中で、母がポツリと言った言葉があります

母が、
「こんな農家に嫁がされたせいで
我が子(私や実弟)の運動会や参観日にもいってやれないほど
毎日忙しくて大変で
どんなに子供ら(私や実弟)にもさみしい思いをさせたことか・・・」と
涙をポロポロ流し、直接私に話してくれたのです

そのおかげで
(ああ、私は母にそんなふうに思ってもらっていたんだ)と
とても温かい嬉しい気持ちになることができました


今まで私は、母と弟の強く結ばれた縁のようなものに
私は入り込むことができず寂しい思いを
わざわざ確認しにいくような年賀のあいさつ行事だったのに

セッションで灯してもらった私の心の灯りを
母に少しおすそわけできたような
そして母からもっと温かい灯りをともしてもらえたような
そんな温かい穏やかなお正月を経験することができ
とてもうれしい気持ちになりました



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プロフィール

zukamama

Author:zukamama
夫がうつ病になり、わが子が不登校になったことから、自分の生きづらさが関係していることを知り、回復に向けてやってきたこと、きづいたことを書きづつっています

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